ダメ学生のダメじゃないかもしれない毎日

日々の楽しいことだったりいろんなことを記事にするよ!!

今の僕には「念」より「燃」が大切。

HUNTER×HUNTER、連載再開しましたね。いやはや、待ちましたよ、だいぶ待ちました。前回の休載に入ったのがちょうど1年くらい前でしょうか。懐かしいですねもう。というか冨樫大先生の場合、救済の枕詞が「n回目の」になりそうですね、それくらい休載してるのにまだ連載させてもらえるのはやはりあの作品のクオリティの高さゆえでしょうか。初めて読んだのは多分小学校低学年の頃ですかね確か。多分家にあったコミックスを偶然手に取ったのが初めてです。そしてカイトが死ぬとかいうとんでもない展開になったのが小学4年生の夏前か秋ごろだったのではと思います。いや、すげぇ前だなおい。まじか。もうそんなに前か。まぁ確かにそんな前からある作品なのにコミックスの最新巻が34巻なんだからそりゃそうかって感じですね。

 

そんなHUNTER×HUNTER大好きな僕はいつの間にかゴンの年齢を追い越し立派な大人になってしまいました。いや立派かどうかは疑念の余地が残ります。まぁそれは置いておいて。そう思うと、何年経ってもまだ僕の心にずっと居続けるこの作品は偉大なのだなぁと改めて感慨深くなります。

 

今思えば小学生の頃にHUNTER×HUNTERのオマージュ作品のようなものを書いていたのが僕の創作願望の誕生でしょうか。まさかそういった創作活動をこの歳までひっそりとこっそりと続ける事になっていようとは当時の僕は想像もしてないでしょうね。今の僕だってこれいつまでできるのかというかいつまで吐き出し続けることが可能なのだろうかと思います。是非とも冨樫大先生に秘訣を聞きたいですが適度に休む事とかいうトンデモ回答が返ってきそうですね。

 

それくらい、僕の人生に大きな石を投げ込んだこの作品、これからもずっと追いかけるんだろうなぁとアイスココアを飲みながら思う午後の5時です。

中身を吐き出せ。

こんばんはこんばんは。気づけば2017年も6月に入ってしまって非常にびっくりしています。就活戦線真っ只中にいる僕としてはこの1年どう過ごすかが非常に重要なわけですが今のところ例年と変わらず通常運転してしまっているのでなんともどうにもどうなんでしょうかね。真面目な話しちゃってるんでその中にもウィットに富んだジョークをねじ込みたいけれどもいかんせんうまくいきませんね、なんにも思いつきません。やばいですよ、お気付きですか?ここまで書いてて今のところ中身0ですよ、含有量0です、驚きです、どうしましょう。

 

これにはね、多分まぁ原因がありまして。こういう文章を書くっていうアウトプットに絶対必要、というかあまりにも前提条件すぎてアウトプットするのに必要な条件としてあげるのはどうなのかっていうくらいに大切な事であるインプットをほとんどしてないって事が原因だと思うんですね。前まではちょくちょく1人で美術館行ったり舞台見に行ったり博物館行ったりしてこう、まぁ教養を身につけていたわけなんですけれどもいかんせん最近外に出た覚えがあるのは大学とバイトと飲み屋くらいなのではないかという、こう、教養とかけ離れた生活をしてしまっているのでもちろん、何か中身がある文章を吐き出せるわけでもなくこうしてただつらつらと書き殴っている現状なわけですが。さてどうしようと。就活となるともちろんおそらく面接とかで求められるのは人生最大のアウトプットなわけでして。それに応えるには今まで積み重ねたインプットが必要なわけでして。色々と自分という荷台に積み重ねないとなぁって感じですなぁ。

 

二日酔いの日なら前日にインプットしたものをきちんとアウトプットできるんだけどなぁ、というかせざるを得ないんだけどなぁ。締めが汚いなぁ。

鉄血が終わってしまった 

おはようございます、おはようございます。

 

いきなりですが皆様は先日最終回を迎えた「機動戦士ガンダム鉄血のオルフェンズ」観ていましたでしょうか。

 

ちなみに僕は最初はあまり興味がなくて地上波放送では観ていませんでした。この作品がTwitterなどSNSで話題になってから非常に気になりましてハイペースでAmazonPrimeのサービスであるAmazon videoで追いかけ視聴をして最終回の3話ほど前からはリアルタイムで観ました。

 

(CM始まり)

 (CM終わり)

 

本作は今までのガンダムシリーズだとメイン兵装となる事が多かったビーム兵器(ライフルだけでなくビームサーベルも)がほぼ出ず、鈍器を用いて接近戦で殴り合う非常に血生臭いガンダムになっています。ビーム兵器の出ない理由は公式で語られていないので考察や推察の域を出ないため省略します。

 

ただこれは演出上非常に大きな意味を感じさせました。鈍器が武器な以上確実に殺す相手に近づいてはっきりと自分の手で殺す感触を登場人物は味わわなければならないのです。おそらくそれは今までのビームを撃って一撃で大勢を殺す以上のフィードバックを与えるはずです。そしてそれを味わう主人公たちは多くが少年兵。これもまたこの作品を話題にした大きな要因ではないでしょうか。彼らは政治的にも社会的にも非常に非力な存在である為、たった1つ彼らが手にする事ができた「ガンダム」という武力にすがるしかなくそしてその選択が彼らを生きるための戦いに身を投じさせて行くわけです。

 

今までのガンダムシリーズではほぼ全て、主人公側にも敵側にも大きな「大義」が存在しました。果たして今作では主人公達に大義は存在したでしょうか。今作ではただ「彼らが彼ららしく生きる」ために戦わなければならず「○○のためにこの命を」というテンプレートの大義は存在しなかった気がします。むしろ敵側の方が大きな大義を抱えており世界から見たらよっぽど敵側の方が正義の御旗のもとに立っているように見えます・主人公達の大義無き武力は単なる暴力でしかなくそれでもなお生きようともがき戦い続ける彼らの姿には大きな悲しみを覚えます。

 

ドロドロとしながらも懸命に明日を目指す彼らの一瞬の閃光のような輝きを是非皆様にも観ていただきたいです。・・まあ放り投げの伏線とかキャラとかたくさんいたりするからなんか観てて歯がゆいのもあるんだけどね。。面白いことは面白いからすごく惜しい。

とりあえず全部終わって諸々から解放されたらあと何周かは観るか。。

 

洋画の邦題・広告問題を考えてたらとんでもない事に気がついてしまったかもしれない。

どうもどうも。先日、アカデミー賞が発表されましたね。やっぱり『ラ・ラ・ランド』強かったですね。『ズートピア』も受賞しましたっけそういえば。まだ観れていないので早めに観たいです本当に。

 

こういった映画の話題で避けて通れないのがタイトルにもあるように、

 

 

「洋画の邦題、ズレてないか問題」

そして

「洋画のポスターダサすぎないか問題」

 

だと思うのです。明らかにそれ中身とズレてないか?という邦題とか伝えたい事ブレてないか?みたいな広告を打たれてしまってる洋画って見たことありません?僕は何個かあります。タイトル問題で言えば『ゼロ・グラビティ』や『恋人はセックス依存症』とか。どちらもどうにもなんか内容としっくり来ていないというか。前者の原題は『Gravity』で正反対な印象ですし(僕は内容見た感じですと原題の方が好きです)後者は『THANKS FOR SHARING』で刺激的な邦題とは全く違うヒューマンドラマテイストなタイトルです。というか内容は思いっきりヒューマンドラマです。ポスターが大変な事になっている映画はもうキリがないので1つだけ。「アベンジャーズエイジオブウルトロン」です。これはもう完全にやられました。悪い意味で。

 

なんでこんな邦題の付け方をしないといけないのか、なんでこんな広告を打たないといけないのか。邦題だって勝手に日本側だけの独断で付けている訳では絶対にないはずです。という事は本国側もこの邦題でGOサインを出しているわけで。なぜこんな事が。

 

考えられる1つの理由として「日本の映画産業が衰退して来ていて映画館で観る人が少ないからタイトル・ポスターで目を引くしかない」という事は挙げられないでしょうか。映画館数は2004年をピークに減少の一途を辿り、3D映画の登場で盛り返すと思われるも3D対応TVの登場で再び打撃を受け、そこにhuluなどのネットでのサービスが台頭しもう大変な状況なわけです。そうなるともう配給会社としてはやる事はただ1つ。なんとか消費者の目に留まるように創意工夫を凝らすしかないわけです。

 

ただこれが失敗とは僕は思いません。こうして「ダサくね?」とか「ズレてね?」って話題に上がってる時点で配給側の目的はある程度達成しているからです。まあ映画館でお金を落としてくれないとってのはあるわけですが。 

 

さて、ここまで書いた時に僕はふととんでもなく恐ろしい事に気がついてしまったのです。あれ?これって「他人に自分をどう見せるか?見られるか?」って事に応用ができるよな?って。

 

日本でも公開される洋画となれば内容はまあピンキリにしろ面白いわけです。ただいかんせんそれを包装しているモノが日本ではウケないから、ああいった邦題やポスターで再包装しているわけです。

 

「人は外見なんかより中身だよ」なんてよく言われますがこの理論だと若干の疑問を挟む余地が生まれます。つまり中身で勝負するにしてもその市場にあった包装がされていないと苦しい勝負を強いられる訳です。そろそろ新生活を始める皆様にあたっては様々な包装紙をご用意しておいていただけると公私共に役立つかもしれません。

 

 

 

カビみたいだなあ

こんばんはこんばんは。お久しぶりです。別に書くことに飽きていたわけじゃないです。どうにも忙しかったのとなんかこうモチベーション的な何かが上がらなかったというか。まあ実際モチベーションなんて気にしてたらやってられないんですけどね。ただ淡々と粛々と目の前のやるべきことを片付けて行けばいいわけで。そこにモチベーションを介入させちゃうとどうにも効率が悪くなってしまいます。まあ別にこのブログはそんな肩肘張って常にやらなきゃ!ってものでもないので本当にこういう風に気の向いた時にキーボードを叩いてるわけなのですが。

 

いやまあじゃあ果たして僕がやるべき事、つまり学業に上記のように取り組めているかと言えばまあ疑問は残りますよね。いや、やってることにはやってるんですけどね。まあなんというか自信は発生しませんね。まあ確実に原因はあれですよあれ。完全に僕はダメ人間だっていうことを他の誰でもなく僕が一番よく知ってるからです。自分で貼っちゃったレッテルは他の誰かに貼られたそれよりも剥がすのが大変というかもう剥がれないというか。自分に対する自分での評価ってかなり大きなきっかけがないと変わらない気がします。なんていうかこう今までやってきちゃった失敗がある分、しかもそれは他ならぬ自分がやってきちゃった事だからこそ心の何処かにこびりつくし、他の人からいい評価をもらって綺麗な水で満たされた時にこそそのこびりついた汚れが目立つんですよね。

 

だからこう自分を一番信用してないのは自分なわけで。まあだからこそ頑張らないとなというかやらねばという気にはなるのですが。とりあえず目下の目標は大学からの友人にはなんとかしてこの自分のポンコツ具合を隠し通す事です。

私は新宿駅になりたい

こんばんはこんばんは。いよいよ冬本番ですね。木曜日なんて予報だと雪が降るらしいですよ、怖いですね。1年があっという間です。

 

さて、今回のタイトルですが、別に進路に悩みすぎてトチ狂ったわけではないです。大丈夫です、私はまだ人です。先日、というかもうだいぶ前に「もうレールに沿って歩みたくないから大学中退して企業」とかいうのが少しネット界隈をざわつかせたのを皆さんはご存知でしょうか。僕からしたらじゃあそのレールに俺が乗り換えて走り出すからとっととそこをどけと言いたいところですがまあそう主張したくなる気持ちもわからんでもないのでまあそれはいいとして。

 

僕が言いたいのは少なくとも「敷かれた」レールは存在しないのではないかということです。いや、これが小学生が親に無理に行かされてる習い事を辞めるときに放ったセリフなら「おお。素晴らしい。」となりますが大学選びの時なんてもう18歳です。親の意見を取り入れることもあるかとは思いますが主たる意思決定はもう自分がするべき、というかしたのではないでしょうか。

 

というかそもそもレールに沿って何がつまらないんでしょうか。確かに「今」はレールにがっつりとハマって進んでいるかもしれませんがそのレールがどこに続いているのか、終着駅はどこなのかをハッキリと況してや大学入学4ヶ月で見定めることなんてできるのでしょうか。僕はちょっともったいないかなって思います。思いがけないところでレールがまさかの方向に曲がっている可能性だってありますし、それが絶対失敗につながっているとは限らないわけで。少年漫画的に言えば行き先の見えない旅路なわけですからこんなにワクワクすることはないです。

 

さて、ここでようやくタイトル回収をしましょう。新宿駅は日本で最大のターミナル駅とも呼ばれる駅です。1日の平均乗降客数が横浜市民の数と並ぶというもう想像ができない数字です。自分の進路、就きたい職業、未来の理想を「レール」と定義したときに我々が可能性に溢れていた幼い頃からすべきことは、たったひとつで。そのレールの数を最大限残したまま大人へと突入することです。僕が今からプロスポーツ選手を目指したところで意味がないのと同じで、そのレールに進みたければその路線経営を幼い頃からキープしておかなければなのです。運動して、勉強して、遊んで。残し方はたくさんあるかと思いますが最大限の努力をしなければならぬのです。

 

正直、もう僕に残されてる可能性、レールの路線数はほとんどないです。ただ、もしかしたらこの残った路線こそがきちんと終着駅にたどり着いてくれるのかもしれません。もしかしたら他のレールで事故ってたかもしれないからね。ああ、ただできることなら多くのレールを抱えてるあの駅に。新宿駅に私はなりたい。そして実はよく読んでみるとこのブログ中身空っぽの可能性がありますね。精進。

ダメ学生名作を読む『姑獲鳥の夏』 作 京極夏彦

こんばんは、こんばんは。最近いきなり冷え込みましたね。おまけにスッキリ晴れることもめっきり少なくなり洗濯物がしっかり乾かずに困っています。乾燥機付きの洗濯機が欲しいです。

 

今回の記事ですが「おい、書くことねぇぞどうしよう」と困った僕がカップラーメンを食べ、麦茶を飲んだ瞬間に脳内に舞い降りた企画となります。まさに天啓でした。「そうだ、ダメ学生の僕でも読めて、面白いと感じる本であればその本は万人に受けるはず。皆様におすすめしなければ」と半ば自虐的で使命感にすら似たような思いつきでしたがずっっとブログを更新しないわけにもいかないのでこの企画はレッツゴーということにあいなりました。

 

さて今回僕がおすすめするのは『姑獲鳥の夏』という京極夏彦先生の書かれたミステリー小説となります。

 

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

文庫版 姑獲鳥の夏 (講談社文庫)

 

 

 

これをミステリー小説とたった一言で言うことができるのかどうなのかと僕は読了後からずっと悩んでいるのですがここではミステリー小説と説明させてください。

 

舞台は戦後間もない日本、古書店を営む通称"京極堂"と精神に不安定さを抱える売れない小説家関口、頑健で真面目、現場主義な刑事木場、人には見えないものが見える変人探偵榎木津。これらの人物が20ヶ月も妊娠したままであるとの妊婦とそれを取り巻く怪しげな病院を舞台に謎と相対する物語となっています。

 

僕がこの作品に興味を持ったきっかけは大学で民俗学の講義を受講したことでした。もともと、そういったオカルトチックー読んでくださればわかりますが京極堂はこの表現を嫌いますーな事に興味があり、各地の伝承や民話を本で探したりネットで見る事が好きな少年であった僕からするとその講義を受ける事ものめり込むのも必然でした。民俗学の魅力に取り込まれた僕が柳田國男先生の本を経て本屋さんで運命的な出会いをしたのがこの本でした。作中では謎を解くために各地に伝わる民話や、お寺のルーツ、民族信仰を巧みに組み合わせ真実へと近づいていきます。そう、この作品をミステリー小説と紹介することにわずかな迷いを覚えた理由は、この作品は犯罪を解決するという形は取っているものの、それよりも民俗学的、宗教学的な側面からアプローチしていくことが多いため一般的なミステリー小説に見られる推理をするかというと「うーん、してはいるけど」みたいな答えしか僕はできなくなるからです。

 

ただ、このシリーズにおける京極堂の名台詞「この世に不思議なことなんて何もないのだよ」に表現されるように、京極堂が行う自身の持つあらゆる知識を使った、時には友人関口たちからすらペテンだ詭弁だと揶揄されるような、それでいて筋の通ったストンと腑に落ちる推理を読むと「ああ、不思議なんてないんだ」と納得させられてしまいます。この台詞回しは一読の価値ありです。

 

また、この作品はもう15年以上前の作品であるにもかかわらず仮想現実や万能細胞を示唆するかのような表現があり作者の非常に深い知識を伺えます。そしてそれら未来の科学技術の根本には太古から存在する非科学的な問答をする必要性が強く残っている事までも読み取れます。例えば万能細胞を使って人間を作った時、果たしてそれは目覚めるのか、魂が宿っていないのに。というような。

 

この物語の結末はきっと誰もが考えなかった、ある意味ミステリー小説としては反則かもしれません。でも最後まで京極堂の推理を、関口の苦悩を、木場の実直な捜査報告を、榎木津の突拍子もなくそれでいて真理をついた語りを読み通したあなたにはきっと「何も不思議はない」結末となっているでしょう。京極堂に「謎」という憑き物を落としてもらい、京極堂の「魅力」に取り憑かれましょう。

 

ぜひご一読を。

 

ちなみに僕はもうすぐシリーズ3作目の『狂骨の夢』を読み終えそうです。