ダメ社会人のダメじゃないかもしれない毎日

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【ネタバレ】『君の名は。』2回見てある程度わかったこと解説。本編未見の人は見ない方がいいよ。

こんばんは、こんばんは。

本日川崎チネチッタにて2回目の『君の名は。』観てきました。

 

この劇場、前評判から期待してたけど音響素晴らしい。音楽も効果音も1回目の時とは別物に感じるくらいよかった。彗星の爆発音とか特に。

 

さて、じゃあ今回は『君の名は。』を初めて観た時の疑問が2回目によっていくつか解決したからそれを書いていくよ。ですます調で書くとめんどいからであるとかで書いていくけど許してね。そしてとんでもないネタバレあるからタイトルにもあるけど本編未見の人は絶対見ない方がいいよ。

 

 

①そもそも入れ替わりって?

これは初回から、はて?と思ってた。入れ替わり相手の選択はどのように行われたのかって。

 

多分キーになってたのはあの瀧くんがお守り代わりに付けてた「組紐」で、三葉がそれを渡したのはまだ瀧くんが入れ替わりを体験してない時。

 

逆説的だけどここである種の座標決定みたいなのが行われたのか、それとも「組紐」自体が入れ替わり先の座標なのか。多分どっちか。

 

②誰そ彼時の授業の黒板に書かれてた短歌は?

歌が思い出せない‥!でも確か、詠み人知らずで、

意訳すると

 

「夢に愛するあなたが出てきた、この夢が覚めなければいいのに」みたいな感じ‥。

 

多分これは三葉と瀧くんの事を示唆してるね。

 

③なんで町長は三葉の説得を最後は聞いたのか?

多分これは町長、つまり三葉のお父さんである宮水俊樹も、三葉のお母さんの宮水二葉との入れ替わり体験者だから。

 

三葉の祖母である一葉が、自身も入れ替わりの体験があるかのような話をしているからおそらく入れ替わり能力は宮水の女性が若い頃に発現する。

 

ここで少し話を変えてみると、なぜだか三葉以外の宮水家の人間には入れ替わり先、そして恐らく結ばれた相手であろう人物が登場しない。

 

宮水俊樹と宮水二葉この2人の関係に至っては能力者である二葉本人がいなくなっている。

 

これは多分物語構成上、その人物がいると三葉と瀧くんの入れ替わりに気づく人物が出てきてもおかしくなくなってしまうから。だから、入れ替わりについて知っていてなおかつ当事者である三葉の近くにいるのは祖母だけの方が話が進めやすい。

 

ここで宮水俊樹に話を戻すと、三葉in瀧くんが町民を避難させるよう説得すると、「妄言は宮水の血筋か‥」と宮水俊樹が呆れるセリフがある。はて?妄言とは。という事は俊樹が知っている宮水の人間が突拍子もないことを言うことを今までに聞いた経験があるという事になる。まるでいつもと違う人間かのようなセリフを。

 

更には、回想シーンで描かれる二葉との死別のシーン。「救えなかった‥」と泣いている。

 

救えなかった?妻を亡くした夫のセリフにしては妙に違和感がある。医者でもないのに。恐らく宮水俊樹は失敗した瀧くんなのである。

 

いや、失敗ではないか、四葉ちゃんを出産した事が二葉の体調が崩れてしまう引き金になったのだとしたら宮水俊樹はそのどちらかを選ばざるをえなかった。そして恐らく、入れ替わりを使って両方を助ける手立てがないか模索したが結局四葉ちゃんを選ばないといけなかった。というところだろうか。恐らく宮水俊樹は二葉が四葉を産めば体調を崩す事を知っていたのかもしれない。

 

そして話を三葉in瀧くんが宮水俊樹に会った時に戻そう。「お前は誰だ?」と言っている。恐らくここで宮水俊樹の中に眠る入れ替わりの記憶が少し目覚めたのだと思う。

 

そして恐らくこの入れ替わりは毎回、過去と未来とで行われる。そうでなければ、二葉と宮水俊樹の時も時間差で入れ替わりが行われていなければ、三葉が説得に来た時も応じるわけがない。

 

だって宮水俊樹からしたら目の前にいる三葉は自分と二葉のように入れ替わりを体験していて、ということは未来を知っていてこれから先起こることを確実に知っていると断定できないのだから。

 

2回観てわかったのはこの3つかな。そしてまだ終わりじゃないよ。この③の仮説が正しいとすると、入れ替わり能力についてある1つの答えが導ける。

 

それは、「入れ替わり能力は宮水の血筋を絶やさない為に存在する能力」ということ。

 

糸守の街には1000年前にも彗星が落ちていることが本編でも描かれてる。多分この時にも入れ替わりが起きているはず。

 

宮水の御神体があんなに遠く離れた場所にあるのは、そもそも1000年前はあの御神体が会った場所に村、神社があったから。しかし彗星が落ちてくることを知った当時の入れ替わり能力者によって避難した先に三葉たちが住む村ができた。

 

と、考えれば神社と御神体があそこまで離れている理由も説明できるし、御神体に彗星の絵が描かれている理由も説明できる。宮水俊樹が四葉ちゃんを選ぶ事しかできなかったのもたぶんこの宮水の血の存続の為という能力の本質が導き出した答えだと思う。

 

ざっと書いたら長くなってしまった‥最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。

 

あともう1回くらいは、映画館で見ようかな。普通に泣いちゃったよ今回。

『君の名は。』観てきたよ。名作だったよ。ネタバレ含むよ。

こんばんは。こんばんは。明日休みだから夜更かししながら書いてます。ネタバレ含むから気をつけてね。

 

昨日ようやく『君の名は。』を観ることができました。いやーもう感想はたった一言、「最高」これだけです。間違いなく僕はあと2回は映画館で観ます。

 

TV番組でも話題になっていた美しい絵と音楽。これぞ新海誠!!と言わんばかりのクオリティでした。水筒に注がれたお茶のシーンなんてまるで実写化といっても過言ではない液体の表現でした。

 

いわゆるセカイ系と呼ばれる要素とタイムトラベルのSF要素、そして恋愛要素。この3要素が見事なバランスで描かれていました。音楽も大変素晴らしく冒頭から一気に物語に引き込まれました。

 

セカイ系といえばポストエヴァとも呼ばれ、日本のサブカルチャーにおける物語の類型の1つです。主人公とヒロインの間で起こる問題がそのまま世界の危機、人類の危機に直結するという物語構成であり、たいていの場合、その中間にあるはずの社会の動き、大人の動きはほとんど描かれることのないため、お手軽に話のスケールを大きく膨らませることのできる手法です。まあ僕は嫌いじゃないジャンルです。

 

一体何でこのオタクの方々向けのジャンルを主軸に据えた物語がいわゆるリア充の方々にウケたのでしょうか。僕が推測するに1つは音楽担当がRADWIMPSである事。ですがこの理由は少し弱い。

 

オタク向けでありながら、「萌え」の要素が最低限を残して物語から排除されている事ではないでしょうか。例えば主人公のバイト先に年上美人な女性がいますがおそらくアニメファン層を狙っていたらもう少し女性の露出が増やされバイト先もあんなオシャレなレストランではなかったでしょう。つまりオタクにも納得できリア充にも許容できる範囲にまで「萌え」を昇華させ、別物にしていることが成功の秘訣ではないでしょうか。

 

まあここまでタラタラと書きましたが結局は一言に収まります。「最高でした」

『そして、誰もいなくなった』はどこで間違えてしまったのか

お風呂の中からこんばんは。もはや習慣となってしまった半身浴の最中にこれを書いております。汗をかいてブログをかいて、というわけですが全くうまくありませんね。

 

さて、先日最終回を迎えた日テレ系ドラマ『そして、誰もいなくなった』ですが。アバウトな聞き方になってしまいますがみなさんどうでした?

 

最終回見た直後に藤堂新一よろしく「ちがぁぁぁぁう!」と叫びたくなりませんでした?僕はなりました。

 

あのドラマ、本当に最終回を除けば近年稀に見るかなりの高クオリティのドラマだったと思います。丁寧に振り分けられた伏線と、1つ謎を解くとつられて出てくる別の謎。

 

それがまさか、あんなふんわりと‥。ふわっと終わらせてくるとは‥。ほったらかしにされた伏線なんて何個あることか‥。

 

一体このドラマはどこで間違えてしまったのか。少し考えてみたいと思います。まぁ素人の浅はかな勘ぐりと思って読んでいただければ幸いです。

 

まずタイトル。僕このドラマ最初はアガサクリスティが原作のものかと思ったんです。同名の有名小説がありますし。ところがどっこい違った。それなら何かオマージュ的なものがあるのかなと思えばうーんという感じ。まぁ藤堂目線のタイトルと思わせておいて実は日下目線でのタイトルだったっていうこの感じは嫌いじゃないです。最終的に孤独になった、つまり周りに誰もいなくなったのは藤堂じゃなくて日下だったよっていう。最後まで見て納得的な。ちなみにこのドラマを最後まで見て納得できる部分はこれが最後です。

 

そして伏線。もうこれに関してはもう。なんでだとしか言いようがないというか。なんで今まで丁寧に出来てきたことが最後いきなりできなくなるんだ。話のペースミスなのか、それとも最初から回収するつもりがなかったのか。それか本編で語りはしないけどみんな想像してね、わかるでしょ?っていう投げやりスタイルなのか。

 

まぁ確かに1クールという限られた時間の中で全てを語り明かすのは難しいのかもしれませんが‥。せめてもう少しやりようはあったはず。期待値はめちゃめちゃ高いドラマだったのにもったいない。

 

ああ。煩雑な文になってしまった。暑い。

 

 

 

自信。

 

こんばんは、お久しぶりでございます。本当にお久しぶりでございます。

(©水曜どうでしょう

 

さて、大学3年生の夏休みももう後半、いよいよキャンパスライフも幕を閉じようとしております。起承転結でいえばそろそろ結に入っていかなければなりません。まあ、結に入れるかどうかわからないんですけどね。いや、冗談です。

 

そんな僕ですがここにきて、やはり昔からのダメ人間性が輝きを放ってきてしまっているというかなんというか。遊びたくて仕方がない。いや、そんな僕も腐っても22のいい大人になりましたよ。きちんとやるべきことはしっかりやっているものの、その反動の分遊びたい欲がでかすぎる。一体どうしたものか。

 

こういう話をすると多分昔の僕なら、「いや、遊びでしか学べないこともあるし」とかなんとか言って遊んでいたんでしょうか。懐かしい。是非とも、デロリアンが完成した暁には、過去に戻ってその勢いのまま140マイルで当時の自分を軽くはねたい。気づけよ自分と。

 

確かに、遊びでしか学べないこともあるとは今でも思います。でもそれはあくまでも装飾的なステータスでしかないことにもう少し早く気がつきたかった。

 

ま、後悔はしてませんよ。高校時代大変お世話になった先生がおっしゃってくださった通り、「根拠のないけどもどこまでも大きな自信」が僕の魅力ですから。なんなら装飾品なんて付けてなくても輝いてますからね僕は。

ついにリリース!!

おはようございます、おはようございます。テスト前最終日を迎えております。こんなブログなんて書いている場合ではないです。

 

ただ、ただ!今回だけは書かねばならないのです。それはなぜか。それはそう、ついに日本でポケモンGOがリリースされたからに他なりません!

 

思い返せば道のりは長かったです。制作中であることが発表されたのがちょうど1年ほど前の2015年9月でした。そこからもう僕の中での期待値はマックスでした。あの夢にまで見ていたポケモンが存在する世界にARと言えども近づいたのですから。

 

ARと言えば今年はおそらく後々『VR元年』と呼ばれる年になるでしょう。E3では数多くのVR対応タイトルが発表され、Play StationでVRを楽しむための周辺機器である「PSVR」も予約開始になるなど業界の盛り上がりは果てしないです。ここまでゲーム業界が盛り上がったのは個人的には今までなかったように思います。

 

ここでVRとARの違いを簡単に。「VR」とは、皆さんご存知「仮想現実」と呼ばれる物で機械が作り出したCG空間、デジタル空間を現実と認識させるものです。それに対して「AR」は「拡張現実」と呼ばれるもので仮想現実の亜種とも言えるものです。現実環境に情報を付け加えるもしくは削除するという言わば現実の書き換えによって文字通り現実を拡張するといったものです。

 

実を言うとスマホがリリースされてからARを使ったアプリ『セカイアプリ』はすでに何年か前にリリースされています。ただ、当時は今ほどスマホの普及率も高くなく、キラーコンテンツにはなりませんでした。ただし今回のポケモンGOは違います。セールスランキングが示す通り、リリースされて間もなくアプリ業界の勢力図を書き換えてしまいました。やはり任天堂強し。長年かけて育て上げた「ポケモン」という誰もが知るコンテンツにスマホの普及率が高くなったこのベストなタイミング、見事に全てがかみ合ってのここまでの人気ぶりだと思います。

 

僕もめちゃくちゃはまっております。このワクワク感は今までどんなゲームでも味わったことがないです。そして外ですれ違う人たちのほとんどがポケモンを追いかけているこの現実。ポケストップと呼ばれる場所の周辺はそれこそゲームの中のトレーナーの実写版に他なりません。まさにARで追加された情報ではなく、僕たちプレイヤーが自ずから雰囲気を作り出している、現実を拡張していると言っても過言ではないです。

 

おそらくここから何回かポケモンGOの記事を書きます。お楽しみに。

そしてPSVR を手に入れたら僕のテンションはどこまでも上がっていくでしょう。

つらつらと。

こんにちは、こんにちは。なんだか書くことがないなーと思いつつ、でももう更新が1ヶ月くらい止まってしまっているしなーなにか書かねばなーと、だらだらと書き始めた僕です。

 

このブログ定番の見切り発車なので、おそらくなんの盛り上がりもオチもない更新になってしまうかと思います。

 

そういえば『ドリフターズ』の5巻を買いました。いやはや。いやはや。面白すぎますね。歴史にロマンを感じる僕としてはあの作品はツボにどストライクです。黒王は一体誰なんでしょうね。想像通りの人なのでしょうか。うーん、今後が楽しみ。そして今月は待望の『ハンターハンター』33巻発売。いよいよ。いやー本当にこの作品は僕が生きてる間に完結するのでしょうか。心配です。蟻編が連載してたのが僕が小学生の頃ですから。そんな僕は今大学生です。恐ろしい。

 

ここまでの長期間、しかも複数回の休載が許されてしまうのはやはり、連載する度にとんでもなく高いレベルの漫画を描くからでしょうか。風呂敷の広げ方、畳み方、点と点の繋ぎ方、どれを取ってもおそらく今の漫画家さんの中ではトップクラスだと思います。どうかお身体にはお気をつけて、お仕事を頑張って頂きたいです。

 

あ、そして僕は今最高の神ゲーだと呼び声が高い、『OverWatch』買いました。とんでもなく面白いです。ソロで主に深夜にやっているのですが時間を忘れてしまいますね。そしてe-Sportsに見事にビシッとハマる作品だと思います。戦略性の高さといいゲームのスピード感といい見ている側を楽しませることができるゲームだと思います。

 

なんかただの日記みたいな駄文になっちゃったな‥やっぱり時事とか絡めないとまずいのかな‥まぁブログなんて日記みたいなやつでいいか‥。

あの頃と今

こんばんは、こんばんは。と書いたところでふと、僕が書いている今は夜だけれども読んでる人にとっての「今」は夜とは限らないよなと思ったのですがそれを考え始めてしまうと書き出しからやり直しになり、おそらくブログを書くことを諦めてしまうので考えないことにいたしましょう。決まった形の書き出しを何か考えよう。

 

まあいつものことながら、これを書こう!というテーマ的なものが一切ないまま書き出してしまったのですがどうしましょうか。何かいいお題みたいなのが欲しいです。

 

そういえば、最近「SKET DANCE」という漫画を随分と久しぶりに読んだのですがなかなか面白かったです。連載中に確か高校の友達に単行本を貸してもらって読んだのがこの作品との初めての出会いだったと思います。

 

そこでまず僕が書きたいのは内容の面白さ以前の問題で。「高校卒業後に高校生活がテーマの漫画を読むことによって食らう精神的ダメージ」についてです。

 

あれ何なんでしょうね。こう、胸がぎゅーっとなります。自分が高校生だった頃を思い出して、え、もうそんなに昔なんだっけ!ってなるやつです。これを「え、もうそんなに昔になるんだっけノスタルジーだわ〜ダメージ」ということで頭文字をとって『END』にしましょうか。

 

この『END』の厄介なところは、別に高校生活に何にも後悔がなくてもなぜか襲われてしまうところです。僕もまあ人並みに高校生活は楽しんだはずです。というかほっとんど勉強した覚えがないので、他の人以上に遊び倒した自負はあります。テスト前などにご迷惑をかけた友人にはここで深くお詫び申し上げます。それなのに!それなのになぜか高校を舞台にした漫画、いやもう漫画だけじゃないな、映画にしろドラマにしろその『END』を食らってしまいます。苦しいですね。

 

よく過去を振り返ってはいけない、前だけを見ようなんて言われますが、自分が今までどんな風に歩いてきたのか、どこを通ってきたのかという事をちょくちょく確認しながら進まないと結局目的地に辿り着かないなんて事はよくあります。上京してきた時、僕はよく渋谷駅でそうなりました。何が言いたいかっていうと『END』は僕たちの心に負荷をかけてくる事で自分が今まで歩いてきた道を思い出させてくれる、大切な痛みなのではないでしょうか。ああ、あの頃全然遊ばなかったなと思った人はこれから遊びを覚えていけばいいわけだし、あの頃遊びすぎたぜ、となってしまった人は自分を律して生きていけばいいのです。どちらにせよ、あの頃があるから今があるのです。

 

僕は高校で遊びすぎたことで、おそらく人生の大事な分岐点の1つを自分が思っていなかった方に曲がってしまいましたが、何の後悔もしてないです。舵を切ったのも、そうしか切れなくしたのも結局は僕なわけです。あそこでこっちに曲がってこなかったら今の友人たちとはおそらく知り合えなかっただろうし、できなかった経験だってたくさんあります。まあ、逆も然りですけどね。違う道に曲がっていたらまた違う今があったんだろうとも思います。

 

後悔なんてするだけ時間の無駄です。これから先自分の人生という果てしない大海原を航海していかないといけないんですから。                  END