鼻水に教えられたこと。
僕は現在、大学通いのために地元を離れて1人暮らしをしている。1人で家事をこなしていると、ふと親というものはすごいものだと感じることが往々にしてある。その度に、ああ、地元に帰りたいな、親の手料理が食べたいと若干のホームシックにかかるのだが、今回書きたいことはその事ではなく、まさかの事が原因でホームシックになった話を書こう。
僕は生まれたときからアレルギー体質だ。症状が目に見えてひどくなったのは、幼稚園生の時にそばアレルギーを発症した頃だと思う。お医者さんが言うに、僕は人が一生で食べるであろうそばの量を遥かに超える量をわずか5歳にして食べてしまっていたらしい。簡単に言うとキャパシティオーバーでアレルギーが発症したのだ。一歩間違っていたら川を渡り向こう側の住人になっていたレベルだ。ちなみにその年から我が家では年越し蕎麦ではなく年越しラーメンを作っている。麺はスーパーで買うがスープは出汁から自前だ。
掃除をどれだけしてもこのハウスダスト、決して無くなりはしない。確かに掃除を徹底すれば症状は軽くなる。そう、軽くなるだけであって出る事には変わりない。原因は使っている壁紙の素材だったり、どうやっても取りきれない微小な埃だったりする。
しかし、人体とは不思議なもので、あくまでも僕の感覚でしかないが、このハウスダストによる症状、明らかに慣れとしか言えないものが存在するのだ。自分が置かれている環境に慣れてくるとハウスダストによるアレルギー症状は驚くほど軽くなる。
そんな僕の天敵が引越しだ。せっかく慣れた環境から離れてしまうから引越し先の環境に慣れるまで鼻水、咳、涙、目の充血は止まらない。僕の顔面がナイアガラの滝から華厳の滝、ちょっとした小雨へと変遷していくのに半年はかかる。
ここまで書いてやっと本題に入れる。そう、僕は親元を離れ、一人暮らしを始めた時何が大変だったかと言われたら環境への適応と答える。鼻水と咳は止まらなかった。でもちょうど大学が夏休みに入る頃、4、5ヶ月経つ頃になると落ち着いてくる。しかし帰省すると悲しいかな、症状は出始めてしまう。これを書いている今も絶賛鼻水との戦い中である。そんな時に、あ、僕の体はもうここを家だとは思ってないのか、と家にいながらホームシックになってしまう。
やはり、地元というものは切っても切れない何かで結ばれているのかもしれない。どれだけ都会に憧れても、心も体もここを離れたがってはいない。
卒業したら、帰ってこよう。