育て屋おじさんは偉大。
時速88マイルを超えて、今。
今の僕、プライスレス。
世界系男子になりたい。
海外に憧れています。いや、行ったことはあるのですが、だからこそ憧れが余計に強くなりました。こういう事を言うと意識が高いとか揶揄される世の中になってしまったのが悲しいです。低いより高い方がいいじゃないですか意識なんて。
とにもかくにも。海外が好きです。いや、旅行が好きなのかもしれません僕の場合は。出かけるのが好きでその究極が海外なのです。でも実は偉そうに言っておりますが別に海外経験が豊富なわけではございません。しかし少ないからこそ海外での刺激は僕にとって実に衝撃的で深く心に刻み込まれるものになりました。
まず海外旅行の何がいいってみなさん、国内の空港から旅は始まっているのですよもちろん。テンションが上がらないわけがない。あの空港の雰囲気。いけません、思い出して興奮して文章がスタッカート気味になってしまいました。何がいいって非日常感がたまらないんです。身体検査、持ち物検査なんでもこいです。ああいう普段味わえないものをどんな小さいものでも楽しむ。それが醍醐味です。
観光旅行程度では言葉の壁なんてものはないです。身振り手振りでなんだって通じます。それに2日も滞在してれば勝手に耳が慣れてくれて何を言っているのかわかるようになります。人間なんでも慣れです。そうすれば海外では必要不可欠な自己主張だってなんの苦もなくできるようになりますから。
ただし!言葉以上に大きな壁が実はあるんです。食事です。ごはんです。飯です。大事な事なのでなんども言います。ごはんです。これは非常に強敵です。油断するとすぐにおみまいされてしまいます。アメリカに行った時は2日目の昼にはもう私はやられていました。まああれは観光ではなかったので自分で食べるものを選択する機会があまりなかったというのも要因の1つですが。美味しくないわけではないのです。むしろ美味しいのです。肉も魚も野菜もフルーツも美味しいです。ただし量が。物量がとんでもないのです。あれは非常に応えましたね、いくら高校生の時だったからといって今考えてみてもものすごい量でした。ですがそれも今となっては思い出です。食文化の違いを身をもって体験できたのですから、なんたる貴重な経験。素晴らしい。
今はもう昔ほど世界は広くありません。行きたい時に行きたい国に行ける時代になりました。この小さくなった世界に飛び出してみてより小さい自分自身の存在を見つめ直してみるのはより大きくなるためのステップとして必要なものではないでしょうか。
むかしむかしある商人が…
矛盾、もしくは矛盾した言葉って人に受けやすい。なんでだろう。あの大人気映画『バックトゥザフューチャー』は未来に戻るだし、『永遠も半ばを過ぎて』は言わずもながだし。これは邦題を付ける時のミスだろうけども『ゼロ・グラビティ』もそう。あれは絶対原題のまま『Gravity』でよかった。無重力の宇宙で色々大変なことがあってやっとこさ辿り着いた地球で地面を踏みしめて重力の大切さを噛み締めるって話だったのに邦題が『ゼロ・グラビティ』ではなんだかなという感じです。
本題に戻りましょう。なんで「矛盾」が流行るのか。僕は別にそれが嫌いだとかどうとか言うつもりはないです。言葉遊びってとても素敵なものだと思いますし。単純にそういう言葉って興味を引きますし。「未来に戻る?なんじゃそりゃ」の様な。完全に人の足を止める広告的な役割はもう十二分に果たしてくれると思います。
そんな矛盾がありふれたこの世界で唯一僕たちを裏切らない、正直な物。それは何か。数字?金?違います、夢です。夢は僕たちを裏切りません。いつも裏切るのは僕たち自分自身ですから。あの時キャンパスに描いた未来と違う色の絵の具がついた筆を持っていたらそれは裏切られたのではなく裏切ってしまったのです。描いた自分自身を。
こんなクサいことは言いません、別にカップラーメン食べようと思って湯を沸かしてる間にトーストを焼いて食べて満足してラーメンのことなんてすっかり忘れてしまったことなんて関係ないです。俺大丈夫かな。
こんなブログでも気に入っていただけたら、Facebookでちょっと重たい記事でもなぜか付けられることの多いそれこそ矛盾の現代的象徴のような「いいね!」ボタンをポチッとしていただけると幸いでございます。これからも粛々と淡々と日記のような感じで更新を続けていきたいと思っておりますのでご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。
あの日見た実写化の作品を僕たちはまだ受け入れられない
こんばんは、非常に久しぶりな更新な気がします。なんだかのんびり過ごしてしまっていて書く気が起きませんでした。
先日とうとう実写版の「あの花」が放送されてしまった。僕も恐る恐る見ましたが…、まあこれはこれでというか、BGMの凄さを思い知ったというか、アニメを見た記憶があるからアニメの絵が重なって感動するというか、そもそもアニメで充分だったというか。
それにしても最近妙に実写化作品が多い気がします。デスノートにど根性ガエルに。少女漫画でいえば人気な漫画は大抵が映画かドラマになっている気がします。正直に言うと、少女漫画の実写化はいいんです。あと料理漫画とか。幼馴染の幽霊が出てきたり、名前を書くだけで人を殺せるノートが出てきたりといった現実離れした事象が起きる漫画以外であれば実写化は大歓迎です。『孤独のグルメ』のドラマ版好きですし僕。
一番大事なところはそこであって3次元で実現できそうもないからこそ2次元で楽しもうとアニメや漫画にしているのにそれが人気が出たからと言ってよし、実写化だ!は本末転倒というか、そもそも負け戦みたいなもので。
それでも中には成功というか、世間的に叩かれなかった物もあり、映画版デスノートに、海外のものですがアベンジャーズシリーズとか。でもそれは稀なヒット、というか実写化ドラマとは違って莫大な予算と時間と人材をかけられるからであって、普遍的なものではないため実写化作品というのはアベレージヒッターではないと思うのです。
テレビ離れが叫ばれる昨今、確かにもともと多くの固定ファンがいる原作をドラマにしちゃえば視聴率ゲット間違いなしと考えるのは納得のいく道理ですがそれだけに頼ってしまっていてはヒットどころか空振り三振、バッターきりきり舞いな気がします。
なぜ携帯小説が流行ったのかを真面目に考えてみる。
おはようございます。最近不眠症気味の私です。ですがいたって健康です。
突然ですがこのブログを読んでくださっている方の中に携帯小説を読んだことがある人はいるでしょうか。ブーム全盛期が確か6,7年前です。懐かしいですね。僕はまだ中学生でした。なんで突然こんな話を始めたかというとこの間ブック◯フで恋◯が叩き売られていたのを見たからです。◯空は実写映画化までされた携帯小説を代表する作品ですからきっと聞いたことある人がほとんどだと思います。なのにあの作品が今となってはかなりの安値。ブームって怖いですね。
そこで私ちょっとラブスカイを手に取って買ってみました。レジに持っていくのが非常に恥ずかしかったです。とんでもない乗り遅れ感を味わうと共に、お前が買うの?みたいな店員さんの目線がビシバシ刺さりました。でもその店員さんが美人だったのでなんとか持ちこたえました。
家に帰って読んでみるとなんともまあ。なんともまあです。なんと言ったらいいかわかりません。そこでタイトルな訳です。ここはひとつ、なぜこれが、いや、そもそもなぜ携帯小説があんなに世を魅了したのか考えてみようではないか、と。
携帯小説とはその名の通り、携帯を使ってサイト上に書き込まれていった物です。そしてそれを書いていた作者は(本物かもしれませんが)自分は中高生であり、これはリアルタイムもしくは最近の話とした上で連載をするのが主流でした。ではなぜ多くの作者がこの手段を取ったのでしょうか。それを推測するのは簡単です。携帯小説を売る側が狙っていた客層はまさに中高生だったからです。それはなぜか。当時爆発的に中高生の間で携帯が流行り始め、1人1台持つのが普通になり始めたタイミングだったのです。ちなみに僕は当時持ってませんでした。だからあくまでも推測ですが一番最初に携帯小説を書き始めたのは恐らく本物の中高生ではないと僕は思います。あんなでっかい市場をプロが見逃すはずはないですから。
そして内容。もうはっきりと言ってしまいますがどれを読んでもほとんど内容は同じです。流行った物の焼き直しばかりです。大抵が性行為、ドラッグ、不治の病、レイプなどの犯罪、そして妊娠。ほぼ全ての作品のキーワードはこれです。あと浮気。いやこれは携帯小説的には複雑な恋愛事情と書けばいいのでしょうか。女子にはイロイロあるんだよ☆みたいな。ではなぜこの昨今騒がれているパクリとも呼べる物が当時は受けていたのか。ちょっと考えてみました。するとこれに似たある国民的ドラマを思い出したんです。そう、水戸黄門です。あのドラマ、ご老公が印籠を出す時刻が毎回同じだって事ご存知でしょうか。そう、携帯小説の内容が似ているのも水戸黄門のこれも「不文律」です。「テンプレート」なのです。「あ、これ知ってる〜、前読んだのと似てる〜」という体験が読者に安心感を与えそれが満足感に変わり最終的に購買意欲へと姿を変えるのです。そして携帯小説では印籠ではなく、中高生の年代にとって非常に身の回りにありつつ最も遠い物たちな訳です。不治の病による悲恋なんてのはそれこそ遥か昔から恋愛ものにはうってつけですからね。まさに憧れの対象です。
でもその中高生の憧れを全て主人公、もしくはその周りのキャラクターが実現してくれるという事が携帯小説最大の魅力です。キャラクターに自分を重ね合わせて、一喜一憂する。まさにエンターテイメントの楽しみ方の王道ですね。また、携帯小説はある部分では非常に現実とのリンク感が強いのです。もちろん、ドラッグや犯罪などが身の回りにある学生なんてほぼいないと思いますが、恋愛は違います。あ、今の私の恋愛事情あのキャラに似てる、、!なんて事が起こり得ます。するとこれまた加速度的にその物語にのめり込んでいきます。
そして大抵の物語、キーを握るのは携帯メールです。結構大事な話をメールで済ませる登場人物が非常に多いです。これは当時のメール文化を表しているのでしょうか。そしてLINEが流行ってしまった今では存在が薄くなってしまった「思い」がそこには確かにあるんです。「読んでくれたかな」という登場人物の思いです。既読マークがつかないからこそ不安になってしまう。不安だからちょっと危険な事もしてしまう。メールのやり取りのちょっとしたタイムラグが実はよく考えてみると登場人物の心理描写に役立てられるという見方もできます。
調べてみると意外や意外。携帯小説、穿った見方をすると奥が深そうです。またブックオフにでも行こうかな。