ダメ社会人のダメじゃないかもしれない毎日

日々の楽しいことだったりいろんなことを記事にするよ!!

ご近所。

こんばんは。

のんびりと春休みを満喫しています。最近少しずつですが明らかに暖かくなってきましたね。寒がりでお腹の弱い僕としては嬉しい限りです。

さて、今回もいつものごとくなにも書きたいことがないまま見切り発車をしてしまいました。どうしましょう、なに書きましょうかね。いや別に義務でもなんでもないんだから困ったらやめりゃいいんですけどね。書き始めちゃったからには最後まで行きます。

そうだ、義務といえば私はこのブログを始めた頃からFacebookを少しずつですが本格的に使い始めています。そうすると、呟く、というか更新する内容がその日にツイートしたことの総まとめとかになることが多々あったので、どちらかに一本化しようと思いました。そこでTwitterの更新頻度を少なくしてウェイトをFacebookに置こうと思ったのです。

その時でした、不意に僕の頭にこんなことがよぎだたのです。「Twitterに飽きるってなんだよ」と。いやいや、これに飽きることはないだろう、こんなに手軽に便利に発信できるものはないんだから、とここまで考えた時に同時に「Twitterに飽きるってなんだよってなんだよ」と僕の中にもう1つの勢力が立ち上がりました。いやいや、あくまでも手段の1つなんだから飽きるのは当然だろう、なにを言っているんだ、と。

この文だとわかりにくいですね。一言で言うと、Twitterの日常への食い込み具合に驚いたのです。飽きることに疑問を感じるほどまでにTwitterは僕のそばに寄り添っていたのです。なんだかぞっとしない話です。手段だったはずのものが目的となりつつあったのです。

これはやはりTwitterの便利性が成す技なのでしょうか。いや、そもそもTwitterの有用性、便利性ってそもそもなんなんでしょう。

便利性で言えば簡単です、手軽に自分の意見を発信できることです。文字数の上限が140文字のため必然的に意見はまとまらざるを得ないので読む側に取っても、多少の読解力が必要になるケースもありますが親切なものです。

しかしそれよりももっとユーザーに訴えかけるのは、距離感じゃないでしょうか。始める事に敷居の高くないTwitterは自分ととても寄り添ったものになります、それにいざ始めるとそこには世界中への道が広がっています。航空機が発達し、物的にも世界が広くなった今、こういったSNSの発達により心的にも世界は小さくなったのです。

さて、ここまで書いてきて僕が言いたかったのはこの一言です。「海外へ行きたい。できればアメリカ。それもサンフランシスコ。」

一言じゃなかった。

やあ、ここは○○の町だよ!

そういえばものすごくお久しぶりです。更新しなきゃ更新しなきゃと思いつついつの間にかこんなに期間が空いてしまいました。というか年が明けました。いやはや2016年とは。こんなの数字だけ見たらSF映画の時代設定じゃないですか。でも残念ながら未だに僕らは時間も超えられなければ、車も空を飛んでません。あの日の夢物語に少しずつ近づいてはいるものの青写真が「現像」されるのにはまだまだだいぶ時間が必要となりそうです。

さて、そんな夢物語に思いを走らせていると、自分の未来はどうなるのか、漠然とした不安に襲われます。それはなぜか。答えは簡単です。大人になるにつれて色々な事を分かりすぎてしまいました。僕らは自分の人生という名の物語の主人公ではあるけれども勇者ではないという事です。一握りの人間を除けば、ほとんどが村人としてその役割を全うするのだと。

以前の僕はこんな風に思っていました。なんてつまらない人間なんでしょう。

勇者かどうかなんて誰かに決めてもらう事でもなければ自分で決める事でもないです。ただ1つだけ、次のステップに移るために行動を起こしたかどうか、これだけが人を勇者にするたった1つの基準なのです。

それに勝負を決めるのはまだまだ早いです。僕という物語はまだ始まったばかり。やっと劇場が暗くなってブザーが鳴ったところです。

僕が僕をどう描いていくのか自分でも楽しみです。


育て屋おじさんは偉大。

超お久しぶりです。かなり更新の期間が空いてしまいました、ナンテコッタパンナコッタ。最近あんまりまとまった時間が取れずに更新ができませんでした。‥いや、実はまとまった時間は取れていました。でもそのリソースをまったく違うものに費やしていました。


海外ドラマにどっぷりハマっていたのです。『ホワイトカラー』です。いやはや友達の紹介で見始めてみたら面白いのなんの。しかもこの作品、Amazonビデオというサービスで公開されており、更にシーズン4まではアマゾンプライム会員は実質無料で見れるっていうんですからこれを見ない手はありません。ちなみに僕はAmazon studentの僕はプライム会員扱いなのでもう踊りだす勢いで嬉しいです。マットボマーさん超イケメン。惚れる。

ところでなぜ海外ドラマ、主にアメリカドラマはここまで世界中で流行るのかとふと疑問に思いました。

まず考えられるのはやはりアメリカ領土というだだっ広いロケーションで撮影が可能な事によって壮大なスケールを演出できるという事でしょうか。広いからこそ様々な環境があり、あらゆるシーンを撮る事が出来るのです。

それに、そもそもの予算が日本のドラマとは桁違いです。なぜそんなことが可能なのでしょうか?それは、日本とアメリカのドラマの制作の仕方が根本的に違うところに理由があります。アメリカでは制作と放送が完全に分離しており、製作側は視聴率の心配をしなくていいため全力、全予算を注いで自分達が面白いと思うものを作ることができるのです。その結果、まるで映画のようなクオリティを1話1話に持たせることが出来るのです。

ここからは僕の想像ですが、背景には日本とアメリカの『成長』に対する見方の違いも関わってくると思います。日本では、ドラマの打ち切りという言葉をよく聞くように、一度低視聴率を出したらそこでおしまい、あまり期待はしないよという文化があります。その点アメリカはどうでしょう。オーケー、オーケー、失敗は当たり前、放送した側は見抜けなかった事を反省、製作側は面白いものを作れなかった事を反省、次に活かそう。そんで次に結果を出せばいいよ。という違いがあります。そう、このネクストバッターズサークルに立つことを許可するかどうか。ここが最も大きな違いだと思います。

オリンピックを控え、僕たち大学生は経済が活発化し、少しでも就職が有利になることを望んでいます。そのためにはまず、長いスパンで何かを育てようという概念が必要なのではないでしょうか。

そんな事を考えながら僕は地道にコイキングを育てていきます。ああ、赤版懐かしい。ピカチュウ版がトレーナー感としては至高だよね。


時速88マイルを超えて、今。


こんばんは、私です。
居酒屋さんでのんびりお酒を飲みながら書いています。

僕のFacebookでも書きましたが、昨日はあの名作「Back To The Future 2」で主人公マーティが目指した未来でした。未だにポケットを裏返して出すのが流行ったり、車が空を飛んだりはしませんが、確かに僕たちは製作当時の人々が夢見ていた未来に到達してしまいました。


それでも我々人類のすごいところはあの映画に出てきた当時は空想に過ぎなかった幾つかの技術を現実にしてしまいました。TVCMで何度か目にした事もあるでしょう、ホバーボード。それにナイキからあの、自動で紐が縛られ自分の足にフィットするスニーカーの発売も発表されました。

この事からもわかるように、この「Back To The
Future」シリーズは人々にたくさんの夢を与えました。そしてそれを原動力に出来たからこそあのテクノロジーを実現できたのでしょう。

実は僕もあの映画に大きな影響を受けた人間の1人です。僕のSF好きはこの映画に端を発しています。それにこの映画の「未来は自分の手で変えられる」という大きなテーマは僕にチャレンジ精神というものを教えてくれました。マーティが自分の存在を確立させるために、親友ドクを救う為に過酷な冒険にチャレンジしたのと同じように、僕は自分を救う為に過酷な人生の荒波にダイブしないといけません。そこにはデロリアンも無ければ頼れる博士もいません。でも僕は走り抜けないといけないのです。きっと走り抜けたその先には彼が守りたかった未来と同じような、輝く未来が待ってるはずですから。

この映画のキーになるのはデロリアンというタイムマシンです。時速88マイルを超えるとタイムサーキットと呼ばれるタイムマシンが走る空間に繋がり任意の時空に飛べるという代物。でも実は僕たちはデロリアンが無くてもタイムスリップをしているということご存知でしょうか。

僕たちが日中浴びている日光は約8秒前に太陽から出た光だし、僕たちが夜空を見上げて思いを馳せる星空の瞬きたちは実は何百年も前の光だったりします。

ロマンティックですね。ロマンって実は僕達のすぐ隣に潜んでいたりするかもしれません。だからこそロマンはロマンたりえるのかもしれません。


今の僕、プライスレス。


こんばんは、いや、超おはようございます。最近1人居酒屋がやめられない僕です。まだまだ21の若輩者の僕ですがどうにもこうにもビールの虜にされてしまいました。

そんなこんなな僕だけれども只今非常に困っております。何をしたらいいのかわからないのです。勉強は当たり前として、その他。プラスアルファの魅力になるようなことを身につける術が何も見当たらないのです。楽器も弾けなければ歌も上手くない、絵が描けるわけでもなければ運動ができるわけでもない。まったく武器にできるような事が今の僕には何もないのです。このままではいつか訪れる終末戦争、いや就活戦争で生き残れません。竹槍で戦うようになってしまいます。それに魅力が必要なのは就活に対してだけではなく今後の人生全般においても重要なポイントです。

まぁそんなもん大学4年間のうちになんか見つかるだろと舐めてかかっていたらそのキャンパスライフも半分を過ぎました。なんてこった。僕のキャンパスは真っ白のままです。

自分の魅力はなんなのだろうかと頭を抱えてしまいます。ダンテも今の僕をモデルにすればちょっとお肉のついた現代版考える人を彫れます。

ああ困った。

世界系男子になりたい。

 

海外に憧れています。いや、行ったことはあるのですが、だからこそ憧れが余計に強くなりました。こういう事を言うと意識が高いとか揶揄される世の中になってしまったのが悲しいです。低いより高い方がいいじゃないですか意識なんて。

 

とにもかくにも。海外が好きです。いや、旅行が好きなのかもしれません僕の場合は。出かけるのが好きでその究極が海外なのです。でも実は偉そうに言っておりますが別に海外経験が豊富なわけではございません。しかし少ないからこそ海外での刺激は僕にとって実に衝撃的で深く心に刻み込まれるものになりました。

 

まず海外旅行の何がいいってみなさん、国内の空港から旅は始まっているのですよもちろん。テンションが上がらないわけがない。あの空港の雰囲気。いけません、思い出して興奮して文章がスタッカート気味になってしまいました。何がいいって非日常感がたまらないんです。身体検査、持ち物検査なんでもこいです。ああいう普段味わえないものをどんな小さいものでも楽しむ。それが醍醐味です。

 

観光旅行程度では言葉の壁なんてものはないです。身振り手振りでなんだって通じます。それに2日も滞在してれば勝手に耳が慣れてくれて何を言っているのかわかるようになります。人間なんでも慣れです。そうすれば海外では必要不可欠な自己主張だってなんの苦もなくできるようになりますから。

 

ただし!言葉以上に大きな壁が実はあるんです。食事です。ごはんです。飯です。大事な事なのでなんども言います。ごはんです。これは非常に強敵です。油断するとすぐにおみまいされてしまいます。アメリカに行った時は2日目の昼にはもう私はやられていました。まああれは観光ではなかったので自分で食べるものを選択する機会があまりなかったというのも要因の1つですが。美味しくないわけではないのです。むしろ美味しいのです。肉も魚も野菜もフルーツも美味しいです。ただし量が。物量がとんでもないのです。あれは非常に応えましたね、いくら高校生の時だったからといって今考えてみてもものすごい量でした。ですがそれも今となっては思い出です。食文化の違いを身をもって体験できたのですから、なんたる貴重な経験。素晴らしい。

 

今はもう昔ほど世界は広くありません。行きたい時に行きたい国に行ける時代になりました。この小さくなった世界に飛び出してみてより小さい自分自身の存在を見つめ直してみるのはより大きくなるためのステップとして必要なものではないでしょうか。

むかしむかしある商人が…

 

矛盾、もしくは矛盾した言葉って人に受けやすい。なんでだろう。あの大人気映画『バックトゥザフューチャー』は未来に戻るだし、『永遠も半ばを過ぎて』は言わずもながだし。これは邦題を付ける時のミスだろうけども『ゼロ・グラビティ』もそう。あれは絶対原題のまま『Gravity』でよかった。無重力の宇宙で色々大変なことがあってやっとこさ辿り着いた地球で地面を踏みしめて重力の大切さを噛み締めるって話だったのに邦題が『ゼロ・グラビティ』ではなんだかなという感じです。

 

本題に戻りましょう。なんで「矛盾」が流行るのか。僕は別にそれが嫌いだとかどうとか言うつもりはないです。言葉遊びってとても素敵なものだと思いますし。単純にそういう言葉って興味を引きますし。「未来に戻る?なんじゃそりゃ」の様な。完全に人の足を止める広告的な役割はもう十二分に果たしてくれると思います。

 

そんな矛盾がありふれたこの世界で唯一僕たちを裏切らない、正直な物。それは何か。数字?金?違います、夢です。夢は僕たちを裏切りません。いつも裏切るのは僕たち自分自身ですから。あの時キャンパスに描いた未来と違う色の絵の具がついた筆を持っていたらそれは裏切られたのではなく裏切ってしまったのです。描いた自分自身を。

 

こんなクサいことは言いません、別にカップラーメン食べようと思って湯を沸かしてる間にトーストを焼いて食べて満足してラーメンのことなんてすっかり忘れてしまったことなんて関係ないです。俺大丈夫かな。

 

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